芳賀紀行の経歴
芳賀紀行は、日本国内だけでなくヨーロッパを中心とする海外でも活躍するレーサーで、愛知県名古屋市にて1975年に生まれています。
早い時期からレーサーとしての能力が発揮され、1996年には鈴鹿8時間耐久レースで史上最年少での優勝を果たしています。
しかもその時には最多周回数記録を打ち立てていて、まさに文句のつけようのない強さを見せつけました。
その翌年、全日本ロードレース選手権においてはスーパーバイククラスでチャンピオンの地位を獲得しています。
この強さは日本国内に留まらず、スーパーバイク世界選手権の場に主戦場を移してからも数々の記録を出しています。
2008年には世界チャンピオンの後を継いで、ドゥカティワークスチームに移籍して新天地での活躍を始めました。
その後、2010年にはドゥカティがスーパーバイク世界選手権から撤退することになったため、DFX PATAアプリリイアに移ることになりました。
2012年にはヤマハに移籍し、鈴鹿8時間耐久レースにはチームカガヤマのメンバーとして参戦するなど幅広い場所でその活躍を見せています。
芳賀紀行の戦歴
前述の通り、芳賀紀行が大きく注目されるようになったのは1996年の鈴鹿8時間耐久レースにおける劇的な優勝です。
しかし、その前からも素晴らしい戦績を収めていました。
1993年に前述のの250ccに入ってすぐにランキング13位になり、徐々にその力を伸ばしていきます。
鈴鹿8時間耐久レースで優勝した年には、スーパーバイクのカテゴリーで8位と一桁のランキングを得られるようになっています。
ついに1997年には全日本ロードレース選手権スーパーバイクの区分でチャンピオンとなっています。
1998年にはスーパーバイク世界選手権に挑み、一気にランキング6位の成績を残しているのも衝撃的なことです。
その後も一桁のランキングに常に留まり、2000年や2007年、2009年にはランキング2位まで成績を伸ばしています。
ヤマハやドゥカティ、アプリリアなど、チームの移動が多い状況でもマシンの性能を最大限に引き上げ、最高のパフォーマンスを示して勝利を重ねていっているのが印象的なレーサーです。
芳賀紀行にまつわるエピソード
芳賀紀行を語る上で欠かせないのが、その独特なライディングフォームです。
芳賀紀行自身、縁石はコース内と述べるなど非常にアグレッシブな攻め方をしていて見る人を熱くさせます。
バイクの陰になって見えなくなることがあるほど体を寄せて倒していくライディングスタイルは、一目で芳賀紀行だと分かるくらいです。
スタートに強く、予選を2列で通過しても一気に先頭集団に入り込む強さはファンの心をとらえるものがあります。