平忠彦の経歴

平忠彦は、1956年福島県南相馬市生まれのロードレーサーです。
小さい頃からバイクには関心を持っていて、15歳の時には免許を取得しています。
その後、19歳になった時にレーサーとしてデビューすることになりますが、すぐにレーサーとしての才能と努力が開花し、1980年には全日本ロードレース選手権の国際A級350ccカテゴリーでチャンピオンとなりました。
この時には名門ヤマハワークスに所属していて、マシンを自由に操るライダーとして注目されていました。
その後すぐに500ccクラスに昇格し、輝かしい成績を残しています。

まさに国内最速のレーサーとして日本のモーターサイクル界の一時代を築いた人で、世界にも進出するようになり海外でも存在感を強めていきます。
その後も35歳で引退するまで、常にレース界のトップを走り続けてきたと言えるでしょう。

引退した後は自らバイクショップを経営したり、バイクに関係する様々なイベントに参加してバイク業界を盛り上げています。
2008年には、かつて所属していたヤマハレーシングのチーム監督となります。
後にもチームマネージャーとしてヤマハレーシングの運営にも携わり、ヤマハの活躍に大きな貢献を果たしてきました。

平忠彦の戦歴

平忠彦は、初めて350ccで1980年にチャンピオンとなった後も、クラスアップした500ccにおいて1983年から3年連続して全日本のチャンピオンとなりました。
鈴鹿8耐にも参戦して、ケニー・ロバーツと組んでモーターサイクルの歴史上語り継がれるレースをしています。

国内においてトップの地位を不動にしてからは、海外におけるレース参戦も行っていきます。
特にマシン開発にも進んで参加する姿勢を見せ、単にレースで勝つというだけでなく、チームとバイクメーカーとしての躍進にも貢献するという役割を果たしてきたのが特徴です。
1987年にはロードレース選手権500cのカテゴリーで3位となり表彰台に上がっています。

レーサーとしての第一線から徐々にマシン開発の方にウェイトをかけていくようになりますが、それでも日本最速のレーサーとして走り続けてきました。
1990年には鈴木8耐では優勝を果たし、輝かしいレース人生の大きな節目となっています。
その後、35歳にて現役を引退しています。

平忠彦のエピソード

平忠彦は日本のモーターサイクル業界では誰もが知る有名人ということもあって、メディアにもよく取り上げられます。
映画のバイクスタンとして、その経験と技術を生かした迫力あるシーンを見せることもありました。
テレビCMやバラエティー番組にも出演することも度々あり、特に資生堂のメンズ化粧品のイメージキャラクターとして登場しています。

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