中野真矢の経歴
中野真矢は1977年生まれのライダーで、ナンバー「56」をトレードマークとして持っています。
ニックネームは「王子」と呼ばれ、甘いマスクから男女ともに人気の高いライダーです。
非常に身体能力とバランス力が高く、他のプロライダーと比べても転倒率がとても低いことや、たとえ転倒しても大きなケガに発展しないのが強みです。
モーターサイクル全般で有名な人で、レーサーとしてはもちろんのこと、事業面でも功績を残しています。
バイク関連のファッションブランドを自ら立ち上げていて、プロデューサーとしても活躍しています。
中野真矢の戦歴
1998年に開催された全日本ロードレース選手権にて、いきなり9戦8勝という戦績を出し、チャンピオンとして名を挙げます。
その後すぐに翌年からはロードレース世界選手権に活躍の場を変え、テック3・ヤマハ所属という形で戦います。
マレーシアGPの開幕戦ではデビュー戦という状況にも関わらず、一気に3位と表彰台に上がりました。
日本グランプリでは初優勝を飾り、その1999年には年間ランキングで4位の座を確保もしました。
日本国内、世界選手権共に華々しい活躍を当初から見せています。
その後も、2001年にはクラスGP500に進むなどの躍進を見せます。
中野真矢はそれまでヤマハのレーサーとして名を知られていましたが、2004年にはカワサキレーシングチームに移ります。
その当時カワサキはあまり成績が振るわない状況でしたが、中野真矢としてはカワサキがマシン構築にも参画できる体制を作っていたことを重視します。
こうしてマシン開発にも加わり、そのマシンをレースで使用することでさらなる進化を遂げます。
その結果は明白で、移籍した年にカワサキのマシンで3位表彰台に乗ることになります。
それまでカワサキは23年も表彰台に上がっていなかったので、この勝利は非常に大きなものがあります。
その後も、コニカミノルタ・ホンダチームへの移籍や、グレシーニ・レーシングへの移籍などチームの移動が見られました。
その中でも、年間ランキング一桁を獲得することが多く強さを見せつけます。
しかし、2009年にはレース中の転倒により鎖骨を折るなどのアクシデントに見舞われ、その年に引退を表明することになります。
中野真矢のエピソード
レーサーとしてスーパーマシンに乗って活躍していたプロでしたが、実は二輪大型免許を持っていなかったというのは有名な話です。
そのため、チームやメーカーのプロモーション活動のために公道でバイクに乗る必要があった場合、運転はできずに単にまたがるだけだったとされています。
その後、2008年になってようやく免許を取りました。