加藤大治郎の経歴

ロッシをも恐れさせた永遠の天才といえば、この加藤大治郎の存在である。
1976年、埼玉県浦和市で生まれた加藤は、5歳の時すでにポケバイでレースに初出場したつわものである。
3歳の誕生日のプレゼントが、ポケバイというのだから、この親にしてこの子ありというところだろうか。

自宅近くのサーキット秋ヶ瀬があり、環境に恵まれていたことも彼にはプラスに働いた。
ライバルたちと切磋琢磨し、幼少のころからレースに出場すると、まさに連戦連勝であったという。
16歳になり、バイクの免許とロードレースライセンスを取得すると、1992年にロードレースにデビュー。
まさに、日本の若き天才ライダーの出現であった。

加藤大治郎の主な戦歴

・1993年 – (Team高武 with RSC)
九州選手権ロードレースGP250チャンピオン(ホンダRS250R)
九州選手権ロードレースGP125チャンピオン(ホンダRS125R)
九州選手権ロードレースSP250チャンピオン(ホンダNSR250R)
年間ランキング:GP250クラス 1位
GP125クラス 1位
SP250クラス 1位
・1996年全日本ロードレース選手権GP250ランキング2位
ロードレース世界選手権・日本GP(鈴鹿)GP250クラス3位
・1997年全日本ロードレース選手権GP250チャンピオン
ロードレース世界選手権・日本GP(鈴鹿)GP250クラス優勝
・1998年ロードレース世界選手権・日本GP(鈴鹿)GP250クラス優勝
・2000年鈴鹿8時間耐久ロードレース 優勝(チームキャビンホンダ/ホンダVTR1000SPW)
・2002年鈴鹿8時間耐久ロードレース 優勝

主なエピソード

加藤大治郎のエピソードとして、意外に知られているのが、サッカー界の世界的なスタープレイヤー、アレッサンドロ・デル・ピエロとの話題ではなかろうか。
アレッサンドロは、イタリア代表に名を連ねるほどのプレーヤーで、ヨーロッパでは当時大スターであった。
それは、2001年のシーズンオフ、成田空港での出来事である。

加藤大治郎と、空港で鉢合わせしたアレッサンドロは思わず駆け寄り、加藤にサインを求めたのである。
驚いたのは、アレッサンドロに張り付いていた記者たちだった。
思わず、あの日本人は誰だ ! と叫んだ逸話が残されている。
当時、2輪レースの認知度が低かったヨーロッパでは、チャンピオンとして君臨する加藤大治郎の存在を知る由はなかったのだ。

加藤大治郎の魅力

それは、突然の出来事であった。
日本バイク界の若き天才、加藤大治郎は、2003年鈴鹿サーキットで行われた、第1戦日本GP決勝レースで事故を起こしてしまう。
一時は、容体が安定したかに見えたが、その後を急変し、わずか27年で生涯を閉じてしまうことになる。

突然の訃報に、2輪レース界は驚きを隠せなかったが、彼の功績はたたえられ、日本人初のMotoGP殿堂入りを果たす特に、彼の付けていたゼッケンNo.74は、永久欠番になったのだ。
加藤大治郎の魅力は後世にも語り継がれ、彼の永久欠番となった7と4は、好んで選ばれるゼッケンである事はあまりにも有名である。

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