とあるレーサー

片山敬済の経歴

オートバイの世界最速を競うWGP(ロードレース世界選手権)で、日本初の世界チャンピオンとして有名な片山敬済(かたやま たかずみ)について紹介する。

出身は兵庫県。高校卒業後F1ドライバーになるためジムカーナを始める。20歳で四輪から二輪に転向し、バイクレースをスタートした。地元の名門である神戸木の実レーシングに加入しヤマハで全日本ロードレースにデビュー。その後ノービスからエキスパートジュニアなど、全てのクラスを次々にクリアし、1974年には当時国内最高のセニアクラスに昇格した実績の持ち主だ。

戦歴ピックアップ

世界GP1974年

セニアクラスに昇格した年、片山は世界GPに参戦するため、契約していたヤマハの許可を得て単身ヨーロッパに乗り込む。半ば強引に参加許可を得たようで、ヤマハのサポートはTZ250の貸与のみ。メカニックがいないので、片山自身でマシンの整備やチューニングを行ったという。そして世界GP第6戦のオランダGP250ccクラスに参戦。予選3位で通過している。決勝レースでは3位についていたものの、リアブレーキのトラブルによりリタイアとなった。その後、第8戦目のスウェーデンGPで初優勝を勝ち取る。

世界GP1976年

石油ショックの関係でヤマハから契約解除されてしまう。プライべーターとして活動をスタート。日本のガスライター会社「サロメ」がスポンサーとなり、活動に励む。ヤマハの契約ライダーの時と違い収入が激減し、レース用のバイクは自分で購入したのだとか。このシーズンの世界GPは最終戦以外すべてのレースを走り、好成績としては250ccクラスで2位であった。

世界GP(3気筒TZ350)1977年

当時マツダのチーフメカニックであった杉原真一を、一緒に世界GPへ挑むメカニックとして誘い世界GPに参戦。ヤマハモーターNVと契約を交わし、当時新開発の3気筒エンジンのマシンと2気筒エンジンのマシンを使い分けるスタイルになった。そして世界GP350ccクラスで日本初のクラスチャンピオンに輝く。フィンランドGPの決勝では、3気筒TZ350でレースに参戦し優勝。世界GP最終戦を待たずに1977年の350ccの優勝が確定した。

片山のように3気筒TZ350をまともに乗りこなせるライダーは、そう多くはいない。チャンピオン獲得後に片山が語ったというコメントには「チャンピオンを取れなければおかしいとさえ思っていた」という言葉があり、努力を結果にしたライダーだと言える。

Close