阿部典史の経歴・戦歴について
阿部典史は、1975年生まれ、東京都出身のバイクレーサーである。
その父は阿部光雄で、やはりオートレース選手として活躍していたプロだ。
阿部典史の経歴はまさにサラブレッドとも言うべきもので、なんと5歳の時にバイクを操り始めたのである。
最初はもちろんポケバイからスタートして、成長していくにつれてミニバイに乗るようになった。
レースの世界にも幼いうちから参戦するようになって、ポケバイレースにも多数出ている。
その後、オートレースの世界を経験するために15歳の若さでアメリカに渡った。
レースの本場アメリカでは、モトクロスやダートトラックなどの様々な種類のバイクレースに参戦したのである。
アメリカは日本とは比べ物にならないほど頻繁にレースが開催されているし、実力を持ったレーサーが数多くいる。
勝利すれば名声と賞金を得られる一方で、勝てないと評価されないというシビアな世界の経験も大きな糧となった。
そして、1993年になって日本において、全日本ロードレース選手権に参戦し始めた。
しかも500ccクラスという最高峰クラスにフル参戦しているのである。
翌年の1994年にはロードレース世界選手権の開幕戦となる日本GPに、ワイルドカード枠での三選を果たした。
そのレースでは無念ながら転倒によるリタイヤとなってしったが、トップライダーたちと互角に闘いトップ争いをしたのだった。
1995年にはロードレース世界選手権で、堂々たるランキング9位の戦績を残している。
1996年にはランキング5位にまで入り込んだ。
この年には日本GPにおいて、500ccクラスの優勝を果たし、久しぶりの日本人ライダーの優勝を見せてくれた。
その後も、マルボロ・ヤマハ・レイニーチームからアンテナ3・ヤマハ・ダンティンやフォルチュナー・ゴロワーズ・ヤマハなどに属し、ランキング上位に入っている。
阿部典史にまつわるエピソード
阿部典史のレースは、ロケットスタートが印象的である。
下位スタートとなっていても、最初のコーナーから出てくるころにはトップ集団に入り込んでいく様子はまさに圧巻だ。
さらにそのライディングスタイルは非常に個性的で、集団の中にいてもすぐに分かるほどだった。
背筋が伸びて美しく、思いっきり前重心に見えるアグレッシブなフォームは多くのファンを魅了した。
しかし、2007年10月7日に神奈川県川崎市の道路をバイクで走っていた時に、急にUターンしてきたトラックと衝突した。
折れた肋骨が動脈を突き破ってしまい、大量出血からそのまま亡くなってしまったのだ。
天才ライダーの速すぎる逝去は、大きな悲しみを人々に残すことになってしまった。