エディー・ローソンの経歴

ステディ・エディの異名をもつ、エディー・ローソンはマシンのような正確なコントロール力と、着実なレース運びで有名なライダーだ。
彼は、アメリカのカリフォルニア生まれらだが、父はネイティブアメリカン、祖父はドイツ系、母はイタリア系と多彩な血脈をもつ。

アメリカンスポーツには見向きもせず、7歳からミニバイクレースに参戦、子供時代には自転車やバイクで砂漠を走り回っていたという。
こうした背景には、家族がレース好きだったということもあって、モータースポーツにのめり込んで行ったのだろう。

エディー・ローソンの主な戦歴

12歳のときに、ダートトラックにデビューしたローソンは、20歳になるとAMAエキスパート・ライセンスを取得し、本格的なAMAスーパーバイクへと参戦することになる。2年後の1980年に、ロードレースに転向すると同時にカワサキと契約し、次々と輝かしい経歴を残すことになる。ここで、彼の主な経歴をご紹介しておこう。

・1979年 AMA250 ランキング3位
・1980年 AMAスーパーバイク ランキング2位
(3勝、KZ1000Mk.II)
・1981年 AMAスーパーバイク チャンピオン
(4勝、カワサキ・KZ1000J)
・1982年 AMAスーパーバイク チャンピオン
(5勝、カワサキ・KZ1000J/R)
・1986年 デイトナ200 優勝
(ヤマハ・FZ750)
・1993年 デイトナ200 優勝
(バンス&ハインズ・OW01)
・1994年 デイトナ200 3位
(ヤマハ・YZF750SP)

主なエピソード

まさに、カワサキのZ神話に、多大な貢献をしたのは言うまでもなかろう。
エディー・ローソンは、機械のような緻密なテクニックを武器としていたが、タイトル獲得記念の限定車も、複数登場したこともバイクファンであれば周知の事実である。
比類なき強さを見せていたエディだが、歴戦のライダーらしからぬ、弱い一面もあったようだ。

日本人レーサーの片山敬済と話をしている際、オーガナイザーたちに対する不満を明確に口に出したのだが、本人によるとそれは多民族の家系のせいだと言う。
正確無比で、冷静なライディングが定評のエディが、このようなネガティブな事を口にしたというのはなんだか意外である。

エディー・ローソンの魅力

彼のアグレッシブさは、引退後の行動にもみて取れる。
1991年の時点で、あと2年後に引退し、同時にカジバを必ず優勝させると宣言したのだ。チームに念願の初優勝をもたらすと、彼はすっぱりと引退をしてしまう。
しかしその後、WGPは引退したものの、2輪レースの他に4輪レースにも出場し、再び活躍の場を見いだしたのであった。

日本でも、鈴鹿8時間耐久ロードレースに出場し、1980年チームカワサキとして2位を獲得。
1990年には、平忠彦とタッグを組み、資生堂TECH21レーシングチーム・ヤマハとして、堂々の優勝をもぎとったのである。
ネガティブな一面も見せるエディだが、ここ一番の勝負強さが彼の一番の魅力である。

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