ジャコモ・アゴスチーニの経歴・戦歴について

ジャコモ・アゴスチーニは、1942年生まれでイタリア出身の元ロードレーサーである。
ロードレースの本場であるイタリアにおいてバイクレースに年若いころから参加し、ヒルクライムやロードレースなどの経験を積んでいった。
21歳の時には、イタリア国内の175cc選手権において初勝利している。
その後も順調に成績を伸ばし、1964年にはイタリアGPにおいて4位に食い込むようになっていった。

その後、世界選手権に転戦するためMVアグスタに参加した。
1966年からはホンダにチーム入りし、350ccクラスでは7回、500ccクラスにおいては7年連続でタイトルを取った。
マン島TTレースにも参戦しており、なんと10回もの勝利を得ている。

1974年になって、ヤマハチームに移籍することになる。
そこでは、ファクトリーリーダーとなりチームを率いることになっていった。
デイトナや世界選手権でいくつものタイトルを獲得して、その強さを見せ続けることとなる。
しかし、1977年にヤマハでシーズン成績6位を収めた後に引退を表明し世界GPと耐久レースからは退くことになった。

その後は4輪レースに出るようになり、F1選手権などにも参戦している。
自らレースに出ることはその後少なくなり、1982年からバイクレースの監督として復帰した。
この年は、マールボロ・ヤマハのチーム監督となった。

このように、現役時代から数々のレースに参加し、輝かしい成績を収めて来た選手である。
実に122回の優勝に、15のタイトルを得ることになった。
まさに史上最高のレーサーとして名をとどろかせた伝説の選手である。

ジャコモ・アゴスチーニにまつわるエピソード

ジャコモ・アゴスチーニは、その強さだけでなく人々に愛される気質を持った人だった。
ずっと「アゴ」という、イタリア語で針を意味する愛称で呼ばれてきた。
レーサーとして華々しい歴史を収めてきたが、最初は父親の反対がありレーサーとして生きることが危ぶまれたこともあったという。
しかし、イタリアにおけるレースで活躍を始めていた様子を見て、父親は納得しプロレーサーとして活動を始めることを許したのである。

ジャコモ・アゴスチーニは、マン島TTレースがグランプリから外れることになったきっかけを作った選手でもある。
1972年に良きライバルだったジルベルト・パロッティがレース中の事故で亡くなったのを受け、長いコースが世界選手権としては危険であると述べ試合をボイコットしたのだ。
それが他のレーサーの共感を受けて、ついに1977年からグランプリから外れることになったのだ。
マン島TTは名誉あるレースとして知られていたので、この決定は世界に衝撃を当たるものとなった。

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