Doug Polen ダグ・ポーレンの経歴
Doug Polen ダグ・ポーレンは、1960年アメリカのミシガン州で生まれています。
若い頃からモータースポーツに親しんできましたが、生地から移動したテキサス州デントンにおいて、17歳の時にレースに参加することでレーサーとしての道を歩み始めました。
この時はまだアマチュアという立場ですが、地道に経験を積んでいきます。
その後1982年に大きな転倒事故に遭って、一時期レースの世界から離れていました。
しかし、3年後には友人から誘われ再びレースを行うようになります。
そしてすぐにその才能が発揮され、スズキGSX-Rナショナルカップにおいていきなりタイトルを獲っています。
これは750ccクラスの話ですが、同じ年には1100ccクラスでも年間ランキング3位という成績を収めています。
その後はAMAなどのレースにも積極的に参戦するようになり、ヨシムラの契約レーサーとなります。
日本においても、Doug Polen ダグ・ポーレンの名はよく知られています。
ヨシムラと契約したいということもありますが、全日本選手権にも参加しているからです。
1989年にはTT-F1とF3に出ていて、どちらでもタイトルを取っています。
こうした劇的な強さは、多くの日本人ファンの脳裏に強く刻まれるものとなりました。
Doug Polen ダグ・ポーレンの記憶に残る戦歴
Doug Polen ダグ・ポーレンはアメリカでもかなりの成績を収めていますが、やはり日本における戦歴は日本人の記憶に残るものとなっています。
上記の全日本選手権もそうですし、鈴鹿8時間耐久レースでの活躍も素晴らしいものがありました。
1988年には、ヨシムラのレーサーとして2位に上がっています。
その後チーム移籍が起こり、ドゥカティファクトリーに所属するようになります。
SBKに参戦してからはタイトルの奪取と防衛を続け、一気に強さを世界中に知らしめることになります。
AMAにも出るようになり、1993年にはドゥカティチームとしてタイトルを獲得しています。
Doug Polen ダグ・ポーレンについてのエピソード
Doug Polen ダグ・ポーレンはいくつもの記録を残している選手ですが、不運にも見舞われたレーサーでもあります。
たとえば1988年には全日本選手権でのダブルタイトルを果たしていたため、その後の年も大いに期待されていました。
しかし1990年にテスト走行中に転倒してしまい、足の指を一度に4本もなくしてしまったのです。
この大けがで選手としての活躍は難しいとさえ思われていましたが、見事復活を果たし翌年には世界選手権に優勝しています。