ランディ・マモラの経歴

小柄ながらも、バイクの派手なパフォーマンスと陽気な性格で、WANたちに愛されたのは、アメリカ出身のランディ・マモラだ。
当時としては珍しく、500ccクラスに参戦していた4メーカーすべての、ワークスマシンを走らせた男としても知られる。

レジェンドとして、27人目のMotoGP殿堂入りを果たしたマモラだが、実は二輪モータースポーツの国際統括を行う、国際競技連盟FIMのタイトルは一度も獲得したことはないのだ。
だが、彼の功績の実績は、殿堂入りに値するものとして認証されている。
無冠のレジェンドではあるが、現在でもMotoGPに深く関与し、MotoGPを象徴するキーマンであることは間違いなかろう。

ランディ・マモラの戦歴

『AMA』・1972年 AMAナショナルミニバイクレース チャンピオン
・1985年 AMA Daytona 200mile 2位

『ロードレース世界選手権』
・1979年 ロードレース世界選手権250ccクラス 4位 (ヤマハ)
以降500ccクラス参戦
・ロードレース世界選手権8位 (スズキ)
・1980年 ロードレース世界選手権2位 2勝〔ベルギー/イギリス〕(スズキ・ヘロンスズキ)
・1981年 ロードレース世界選手権2位 2勝〔オーストリア/ユーゴスラビア〕(スズキ・ヘロンスズキ)
・1982年 ロードレース世界選手権6位 1勝〔西ドイツ〕(スズキ/ヘロンスズキ)
・1983年 ロードレース世界選手権3位(ヘロンスズキ)
・1984年 ロードレース世界選手権2位 3勝〔オランダ/イギリス/サンマリノ〕(ホンダ・ホンダ・レーシング)
・1985年 ロードレース世界選手権3位 1勝〔オランダ〕(ホンダ・ロスマンズホンダ)
・1986年 ロードレース世界選手権3位 1勝〔ベルギー〕(ラッキーストライク/ロバーツ・ヤマハ)
・1987年 ロードレース世界選手権2位 3勝〔日本/フランス/サンマリノ〕(ヤマハ/ラッキーストライク・ヤマハ・チームロバーツ)

主なエピソード

彼の人となりを知るためには、幼少のころのエピソードが一番であろう。
ビートルズファンであったランディは、幼少のころからドラムを習っていた。
しかし、バイク好きの両親の影響もあり、バイクレースにも積極的に参加していたのだ。

しかし、あまりにも多忙なため、レース一本に絞ったのだが、これをきっかけにバイクにのめり込んでしまったのだ。
12歳からの2年間で、600本ものトロフィーを獲得し、優勝回数は400回というのだから、この頃から連れにレジェンドとしての下地はあったのだろう。

ランディ・マモラの魅力

ランディの魅力は、常に明るい性格で、周囲を魅了していくれるところだろう。
FIMチャンプこそ逃がしてきたものの、年間総合2位を4度獲得したことは伊達じゃない。
ホンダ時代には、コーナーのハングオフの際、側のステップから足が離れる、独特のライディングスタイルは非常に印象深いものだった。

当時、日本のバイク好きの若者たちから、マモラ乗りとして歓迎されたものだ。
引退してからも、国際中継のピットレポーターとして活躍していたのだから、顔を見ればすぐにピンとくるはずだ。
レジェンドという言葉が、しっくりとするのもランディの人柄を含めてのものだろう。

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