ケニー・ロバーツの経歴
ケニー・ロバーツは、アメリカはカリフォルニア州出身のバイクレーサーで、フルネームはケネス・ルロイ・ロバーツである。
「キング・ケニー」と称賛された彼は、数々のロードレースで輝かしい戦歴を上げるが、1983年限りで惜しまれてのWGP引退を決意する。
だが、驚いたことに、引退後はヤマハワークスの「チームロバーツ」を率いてWGPに参戦するのだ。
監督としても、チャンピオンを輩出し、指導者並びに運営者としても有能であることを広く知らしめることになった。
現在でも、ロードレースの主体となっているハングオフスタイルを確立するなど、後世への影響力も計り知れないものがあるのだ。
ケニー・ロバーツの戦歴
新星のように現れたロバーツは、1973年に開催された母国アメリカのAMAグランドナショナル選手権において、史上最年少(21歳)でチャンピオンを獲得したが、その後の活躍も目を見張るものとなる。
・1969年 オレゴン州 100ccダートトラック 1位
・1970年 ナショナルノービス選手権 1位
・1971年 ナショナルジュニア選手権 1位
・1972年 ナショナルエキスパート選手権 4位(以降ヤマハで参戦)
・1973年 グランドナショナル選手権チャンピオン
・1974年 グランドナショナル選手権 2連覇達成
・1975年 グランドナショナル選手権 2位
・1976年 グランドナショナル選手権 3位
・1977年 グランドナショナル選手権 4位
・1978年 デイトナ200マイルレース 1位
・1983年 デイトナ200マイルレース 1位
・1984年 デイトナ200マイルレース 1位
主なエピソード
選手時代は、キング・ケニーとも呼ばれ、ヤマハのチャンピオンとして、輝かしい経歴を残したロバーツだが、過去には余計な発言をし、「ビッグマウス」と書かれたこともある。
1992年には、国際モータースポーツ殿堂、2000年にはMotoGP殿堂入りと、キングの名に恥じないことは間違いない人物だ。
ロバーツのエピソードはいくつもあるが、彼の人物像を推し量るうえで重要なものがある。
当時、軍事政権下だったアルゼンチンでレースが行われる事となり、危険性やコンディションの悪さなどを理由に、開催に猛反対したといったものだ。
当時は監督で、主催者とのしがらみもあったはずだが、レースをやめろといった男気は、さすがキングというところだろう。
結局、開催されたのだが、彼の後押しにより、コンディションは大幅に改善されたそうだ。
ケニー・ロバーツの魅力
ロバーツの魅力は、強さもあるが、新聞に書かれたように決してビッグマウスではないということだ。
過去の栄光に目を向けるのではなく、しっかりと連立を見据えたうえで、常に向上心を欠かさない。
そんな奥ゆかしい人物像が、ケニー・ロバーツの最大の魅力であろう。
日本では、1985年と1986年に、鈴鹿8時間耐久ロードレースにライダーとして出場したことがある。
2度ともりタイヤしたのだが、日本のファンが大喜びしたことは想像に難くないだろう。
2021年でちょうど70歳を迎えるのだが、彼の息子たちも活躍を見せており、WGP並びにモトGPを通じ、親子二代チャンピオンとなっている。