マイケル・ドゥーハンの経歴

オーストラリアのクイーンズランド州・ブリスベン出身のマイケル・ドゥーハンは、レーサーとしての実質的な活動期間は10年ながら、117回のレース中、54回もの優勝を成し遂げたスーパーライダーなのだ。
1992年以後のエントリーネームはミック・ドゥーハンだが、日本ではホンダのマイケル・ドゥーハンの名で定着している。

1992年それまで開幕の日本GPから4連勝をマーク、第7戦ドイツGPでシーズン5勝目を挙げた後、オランダGPダッチTT予選で大クラッシュ事故を起こしてしまう。
一時は選手生命も危ぶまれたが、その後復活し優勝して見せたのは、まさに鉄人のなせるわざであろう。

マイケル・ドゥーハンの主な戦歴

『ロードレース世界選手権』
・1989年ドイツGP 3位(レプソル・ホンダ)
・1990年ハンガリーGP 1位(レプソル・ホンダ)
・1991年スペインGP 1位イタリアGP 1位オーストリアGP 1位(レプソル・ホンダ)
・1992年日本GP 1位オーストリアGP 1位マレーシアGP 1位スペインGP 1位ドイツGP 1位(レプソル・ホンダ)
・1993年サンマリノGP 1位(レプソル・ホンダ)
・1994年マレーシアGP 1位ほか 9勝でグランドチャンピオン(HRC・ホンダ)
・1995年オーストラリアGP 1位ほか 7勝でグランドチャンピオン(レプソル・ホンダ)
・1996年インドネシアGP 1位ほか発祥でグランドチャンピオン(レプソル・ホンダ)
・1997年マレーシアGP 1位ほか 12勝でグランドチャンピオン(レプソル・ホンダ)
・1998年マレーシアGP 1位ほか 8勝でグランドチャンピオン(レプソル・ホンダ)
・1999年日本GP 2位(レプソル・ホンダ)

主なエピソード

マイケル・ドゥーハンが注目され始めたのは、1987年にTT-F1世界選手権日本ラウンドに、プライベートチームから出場し、3位に入賞したことがきっかけである。
活躍期間は、10年足らずであるが、ロードレース世界選手権500ccクラスで、5年連続チャンピオンを獲得したことでもわかるように、彼はまさに絶対王者なのだ。

大事故で長期療養を余儀なくされたドゥーハンだが、一時右足を切断も検討されたほどの重傷だったそうだ。
これほどの負傷を負いながら、その後の5年連続ワールドチャンピオンと題復活を遂げたのは、彼の最大のエピソードとして記しておかなければならない。

マイケル・ドゥーハンの魅力

マイケル・ドゥーハンの魅力は、復帰後も足を引きずるなど後遺症を残したが、不屈の闘志で5連覇チャンピオンを成し遂げたのだ。
まさに、圧巻ともいえるほどの精神力の強さであろう。
スタイルとしては、滑らかなスロットルコントロールが、彼の最大の魅力と武器になっている。

復帰後は、リアブレーキを操作できなくなっていたが、左ハンドルに親指で操作する、レバー式のブレーキを取り付けていたという。
ドゥーハンの支配は永遠に続くと錯覚させるほど、強烈なインパクトを残しながら、惜しまれつつも2000年シーズン開幕を前に引退を表明。
その後は、ホンダ・レーシングの、GPアドバイザーで貢献を果たしたのだった。

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