ウェイン・レイニーの経歴・戦歴について

ウェイン・レイニーは、アメリカ出身のロードレーサーで1960年生まれである。
1980年代と90年代にその強さを世界中に見せつけ、特に1990年から92年にかけての世界選手権の500ccクラスにおける連続チャンピオンは彼の圧倒的な力が発揮されたレースとなった。

彼のバイクとの付き合いの始まりは、6歳になった時に父親がミニバイクを買ってあげたことから始まった。
すぐにバイクにのめり込み、地元のレースなどに参加するようになったのである。
15歳になる時には、ダートトラックレースにおいて名が知られるようになった。

順調にレーサーとしての成長を続け、1983年にはAMAスーパーバイクのチャンピオンとなった。
カワサキチームの主力メンバーとなり、世界選手権の250ccクラスにも参加し始める。
1998年にはチーム・ロバーツ・ヤマハに入って、500ccクラスにも完全参戦するようになった。
イギリスGPでは初めての優勝を飾り、シーズンランキング3位の好成績を残している。

1990年はヤマハに復帰して、エースライダーとして活躍した。
この年はついに14もの試合で表彰台に上がり、チャンピオンとなる。
ここから連続でGPチャンピオンとして勝ち続け、ウェイン・レイニーの地位を不動のものとしたのである。

しかし、1993年のミザノサーキットで悲劇が起きる。
高速でのコーナー進入の際にハイサイドが発生し、体ごと投げ出されてしまったのだ。
そして、頭を強くうち頸椎を損傷するという重傷を負ってしまうのである。
その傷は重く、下半身不随という最悪の結果になってしまう。
懸命な治療と必死のリハビリを続けたものの、完全な状態を取り戻すことはできず、再起不能となり引退を決意した。

しかし、ここでレースの世界から身を引くことはなく、自らマールボロ・ヤマハ・チーム・レイニーを1994年に立ち上げた。
合計5年間、このチームにおいて式を取り数多くのレーサーを勝たせてきた。
ずっと車いすでレースに参加する姿は、世界中で多くのファンに感動を与えている。

ウェイン・レイニーにまつわるエピソード

ウェイン・レイニーの良きライバルとして、必ず名前が挙がるのがシュワンツである。
常にレースで激しい争いを繰り広げているのだ。
そんな中、シャワンツはウェイン・レイニーの妹と付き合っていたこともあり、二人の関係を語るのに欠かせないエピソードとなっている。
ウェイン・レイニーが、事故により引退を余儀なくされると、シュワンツは非常に落ち込みモチベーションを失ってしまう。
そして、ウェイン・レイニーの引退2年後に、シュワンツも引退してしまうのだった。

Close