ハンドル

ライダーは、マシンを巧み扱い、ライバルとの駆け引きしながらトップを争う。そこでは、数多くのドライブ経験やテクニックが求められる。

そんな厳しい世界のレースを生き抜いた原田哲也(はらだ てつや)のバイク人生について紹介しよう。

ポケバイがバイクデビューのきっかけ

10歳のころに出場したポケバイレース。そこから原田哲也のライダーとしての道のりがはじまる。16歳で自動二輪の免許を取得。1987年(昭和62年)筑波選手権125㏄クラスでは優勝。翌年、全日本ジュニア125cc大会でもチャンピオンの座を獲得した。

国際A級昇格を果たし、全日本250㏄ランキング4位に輝いた。1993年(平成5年)までの現役引退を発表。現在は、ホビーレースやオフロード、ツーリングなどバイクに関するイベントを楽しんでるようだ。

現役時の原田哲也の、運転テクニックは、静かにチャンスをうかがい、勝負ポイントで一気に勝負にでるというスタイルであった。そのテクニックから、「クールデビル」の愛称で親しまれている。

バイクレースは魅せるもの

世界GPで活躍してきた、名ドライバー原田哲也。

1993年のデビューと同時に、世界GP250㏄クラスで優勝を手にした。原田哲也のドライブテクニックやプロとしての意識は欠かせない。いうまでもなく、モーターレースは、選手や観客がいてこそ開催されるものである。マシンを操るドライバーは、自分やほかライバルとの駆け引きを考えながら走るため、自分のことだけに集中するのが当然ともいえる。

しかし、「クールデビル」の愛称で親しまれている原田哲也は、「レースはスポーツ、そしてレースは観客には魅せられるべきものでなければレースの価値がない」という。

その一方で、モータースポーツは巨大なショービジネスでもあります。参加している側はつい忘れてしまいがちですが、どんなに真剣な戦いであっても、見てくれる人がいない──つまりショーとして成り立っていなければ、そもそもレース自体が成立しないんです。

引用元:世界GP王者・原田哲也のバイクトーク Vol.12 「ロレンソのクラッシュに思うこと」 | WEBヤングマシン

厳しい勝負の争いに参戦しながらも、観客のこともしっかり考え、プロとして観客に魅せるものを与えようとする原田哲也のプロ意識はとても高いと感じている。

プロのライダーも一人の人間

レースの最中に、クラッシュが起きるケースは少なくない。クラッシュに巻き込まれると勝てる見込みや集中力が激減するため、クラッシュを不正とみなす声もある。

数多くの大会に出場した原田哲也は、レースで起こりえるクラッシュについて、人間だから勝敗には関係ないという見方をしている。

実は、原田哲也自身、カタルニアGPにおけるホルヘ・ロレンソとのクラッシュ事件を経験しているのだ。原田哲也は、自分も起こしえるアクシデントであり、責めるつもりはないと競争相手を尊重している。プロのライダーとして人間として原田哲也の器の大きさもうかがえる。

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