ウーマンライダー

今回は、外国人ライダーを紹介する。日本でも、数多くのトップ選手が排出されているなか、海外でも輝かしい功績を残す選手は多いものである。

その一人、マイク・ダフ(Mike Duff)のライダー人生をみていこう。

マイク・ダフのライダー人生

1939年(昭和14年)の12月、カナダのオンタリオ州・トロントで生まれたマイク・ダフ。

1955年(昭和30年)、当時15歳のマイク・ダフは、カナダで開催されたロードレースに出場するほど、バイクに魅力をもっていた人物である。

1960年(昭和35年)に、マイク・ダフのレース活動が本格的にはじまり、イギリスで開催される「マン島TTレース」に出場している。このレースでは、スタートはできたもの、ゴールまでたどり着くことなくリタイア(DNF)する結果となった。

レースでリタイアしているが、マイク・ダフの走行テクニックが結果的に、マイク・ダフを注目させる要因となる。

ところが、マイク・ダフは、イギリスで開催された選手権でレース中にクラッシュ。思うような操縦ができないケガを負うことになり、一度はライダー人生をストップしてしまう。また、ショックからカナダに帰国し、地元の工場へ就職している。

月日が経つことで、マイク・ダフ自身の気持ちがふたたびプロの道へ進むことを決意させる。1963年(昭和38年)では、500㏄のイギリスのバイクメーカー「マチレス」社のマシンに乗り、ランキング6位の成績を残す。

このレースによってマイク・ダフの実力が認められ、翌年「ヤマハファクトリー」と契約を結び。ヤマハチームの一員となる。ヤマハ自慢の250㏄マシンと共にベルギーGPに出場。カナダ人初の優勝を残すことになったのである。

1967年(昭和42年)、マイク・ダフがプロとして最後の大会でもあるカナダGPに出場。500ccクラスで3位を獲得し、有終の美を飾ったのだ。(その後も、国内選手権レースに出場しているが、グランプリ記録はカナダGPが最後である)

自らのアイデンティティに対する苦悩と決意

レーサーとして数多くの成績を残したマイク・ダフは、「性同一障害」に長年苦しめられていたようである。まだまだ性同一性障害の認識が広まっていない時代であるため、マイク・ダフの抱えてきた自分のアイデンティティに対する疑問と苦しみは計り知れない。

1984年(昭和59年)、自分の性別を「女性」として生きることを決意。既に結婚していたが離婚。

現在は、ミシェル・アン・ダフ(Michelle Ann Duff)として、自叙伝の執筆や写真家、子どもを対象に書かれたオートバイの本の出版など、多くの活動を続けている。

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